今日の散歩は、昨年8月6日のブログ「八ヶ岳・散歩=村山六ヶ村堰の一部を見た<http://dojikko.blogspot.jp/2011/08/blog-post.html>」で書いたルートと同じ道を歩き、去年見損なった「腹切天神祠」を見ることにした。
Google Mapに位置を示したので参考にしてほしい。
甲斐大泉駅→大泉帰農→(緑色マーク)高原大橋を見ながら三叉路を右折して大橋方向に進む。
しばらく進むと、左側に「腹切天神祠(入口)・村山六ヶ村堰」の看板とチェーンで車が入れないようにした道が出てくる(黄色黒丸マーク)。
チェーンの横を通って山道に入り込む。
去年は、祠を見つけられないまま道の突き当たりの堰まで行ってしまった。
入口から100mチョット道を下ったところで、谷側に細い道が分かれていることに気がついた。
去年は夏で草が多くて気がつかなかった。
小さな石3個で作った階段を下りて細い道に入る(青色黒丸マーク)。
下の写真は坂道の下から見たもので、右側の坂道を上から下りてきて、石段を降りて、左側の細道に入る。
細道を100m程歩いたら、ありました!!2本の木に張ったシメナワの下に小さな祠が!!(黄色黒丸マーク)
祠の側面に、「明治三十年六月八日 発起者 中村安一」と記されている。
疎水名鑑・村山六ヶ村堰の歴史<http://www.inakajin.or.jp/sosui/yamanashi/a/616/history.html>によると、昔、西沢取入ロより真矢沢以南に至る2キロ程を掘り渡して水を引いたようですが、それに失敗して、当時の御普請役奉行(ごしんやくぶぎょう)が責任をとって割腹して謝罪したと伝えられているそうです。
祠から高原大橋が見える。
元の道に戻り、高原大橋の上を横切り、100m程で「村山六ヶ村堰水力発電所・取水口」にでる。
その道路わきに「腹切天神祠」と同じ形をした祠がある。
何の祠か? 名前が記された看板は無い。(赤色マーク)
今度近くの方に聞いてみよう・・・
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